戦後70年特別企画

戦後70年特別企画

    NCVでは戦後50年と60年の年に特別企画として番組を制作してきました。終戦から70年の節目の年にあたり、これらの番組を公開します。

米沢市広報番組「戦争体験者をたずねて」(2005年放送)

戦後60年の年に米沢市の広報番組として制作した、「戦争体験者をたずねて」を公開します。市内の高校生が戦争体験者のお宅を訪ね、体験談をお聞きしました。

「戦後50年 当時を語る」松田 晋さん(1995年放送)

特攻隊員として艦上爆撃機に搭乗し、米艦隊に突撃しました。敵の激しい銃撃で機体が蜂の巣のようになりながらも奇跡的に帰還しました。その銃撃の最中、いよいよ最後かと思った時、目の前に母の姿が浮かびあがったということです。国を守るために死んでいった戦友のこと、その遺族の悲しみを思うと今でも心が苦しくなると話しました。

「戦後50年 当時を語る」梅沢喜久子さん(1995年放送)

一家で満州開拓団に加わり生活をしていました。戦況が悪化し母子3人で帰国することになりましたが、飢えと寒さで母が急死し、幼い妹を中国人に預けて一人帰国せざるを得なくなりました。滞在先での過酷な生活や妹との悲しい別れ、50年たった今でも妹の消息は分からず、当時を思い出すたびに涙が流れるということです。

「戦後50年 当時を語る」舟山仁吉さん(1995年放送)

昭和14年、小隊長としてソ連との戦闘を皮切りに中国各地を転戦。敵を殺さなければ自分が殺される。戦場では人間が人間でなくなることを痛感しました。戦後、舟山さんは「争わないこと。愛と平和を求めること」が人生哲学になりました。

「戦後50年 当時を語る」吉田正午さん(1995年放送)

艦船乗組員として真珠湾攻撃やミッドウェー海戦などに参加しました。このうち日本の連合艦隊が大打撃を受けたミッドウェー海戦での悲惨な戦闘の様子を赤裸々に語りました。

「戦後50年 当時を語る」加藤 力さん(1995年放送)

敗戦後ソ連軍によってシベリアに抑留され、鉄道の敷設のため森林を伐採する強制労働に従事しました。厳しい寒さと飢え、重労働で多くの仲間が命を落とす中、懸命に生き抜きました。

「戦後50年 当時を語る」九里茂三さん(1995年放送)

海軍兵学校の国語の教官として召集され、約5カ月間、現在の中学3年生にあたる生徒たちを「生死を共にする」という思いで指導にあたりました。その間、母親の愛情について諭したり、米軍の機銃攻撃や赤痢の流行などがありましたが懸命に生徒を守り抜きました。

「戦後50年 当時を語る」伊藤三夫さん(1995年放送)

特攻隊員として出撃する直前に終戦となり九死に一生を得ました。終戦前は死ぬことに何の迷いもありませんでしたが、終戦を知ったときにはほっとしたと話しました。戦友が出撃していく時の光景を思い出すと今も胸が詰まるということです。

「戦後50年 当時を語る」高橋七郎さん(1995年放送)

ビルマの戦場で負傷し片足を失い帰国しました。。帰国後は南部小学校などで教鞭を執りました。そして終戦。平和な国を築くことが自分の使命と考え子供たちの教育にあたりました。

「おじゃましますNCVです。」川島三之丞さん(1992年放送)

川島印刷の初代社長、川島三之丞さんは狙撃兵として中国大陸での戦闘に参加しました。そして、戦闘中の様子など貴重な写真を撮影し持ち帰りました。それらをまとめた写真集出版を機に、戦争に対する川島さんのお気持ちなどをお聞きしました。




ニュースアーカイブトップにもどる
  
JASRAC許諾番号 5017722001C21038
ロゴ
    NCV米沢センターFacebook公式ページ NCV米沢センターTwitter公式ページ LINEで送る
キャラクター
(C)株式会社ニューメディア All right reserved. [login] 〒992-0044 山形県米沢市春日四丁目2番75号 TEL:0238-24-2525  Powered by samidare

Access 6,548,213pv (2011.11.09〜) Today 1,339pv Yesterday 1,718pv Contents 3,070pages